楽天人の独り言②  「この年にならんとわからん」

亡くなった母が、「この年にならんとわからん」とよく言っていた。亡くなる前はあまり意味を考えたことはなかったが、最近、この言葉の意味をしみじみと感ずる。

私は一人住まいの母を連れて、食事に行こうと機会あるごとに誘っていた。母は一人で生活しているから、時には外でうまいものでも食べたらという気持ちだった。しかし、誘ってもあまり行きたがらない。歩くのが不自由になって、私に迷惑をかけたくなかったのか、私に歩行が不自由になったことを見せたくなかったのか、息子に経済的負担をかけるのが嫌だったのか? 理由はともあれ、行きたがらなかった。

私は母の生前、母のところをよく訪ねて行った。すると、待ち構えたようにいろんな用事を頼まれた。電球を交換してくれ、時計の電池を換えてくれ、庭の雑草を取ってくれ、墓参りに行ってくれ、灯油を運んでくれ、等々。まさにお手伝いである。介護保険で、身のまわりのことは手伝ってもらえるようにしてあるのだがなかなか頼もうとしない。実の子供のほうが頼みやすいからなのだろうか。私は、そんなお手伝いをするよりも、母と近況や体調のことを話したかった。

あるとき、何気なく母に「私に何をしてほしいか?」と聞いたときに、その返事に衝撃を受けた。「自分の家にあなたと(私)と一緒に住みたい。」私と妻は二人とも勤務をしていて、私だけ母と住むことは現実的には不可能であった。母も、一緒に住むことは難しいと思っていたに違いないのだが、母の希望は私と一緒に住むことだった。

その希望は実現することはできずに、母は逝ってしまったのだが、今思えば、しばらくでも一緒に住んでいればよかったかな、と思う。「親孝行したいときには親はなし」というのはこのことだ。

どんな人も年を取れば、運動機能、思考機能は必ず衰える。しかしどんな高齢者も、それぞれの人生を生き抜いた人たちである。この人たちへの尊厳を守ることが、今からの高齢社会の中で必要なことだろう。「この年にならんとわからん」の深い意味を再認識した。

(産業医科大学名誉教授)

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